イースト・プレス社問題

 

2008年に理論社という良心的な児童書の老舗出版社が、「よりみちパン!セ」シリーズの一環として、暴力アダルトビデオの監督として有名なバクシーシ山下が青少年に向けて性について語るというコンセプトの『ひとはみな、ハダカになる。』を出版したことに対して、婦人保護施設の施設長などが抗議し、絶版・回収を求める運動を行ない、1万名以上の署名を集めました。

 その理論社は、抗議側の主張にはまったく耳を貸さず、話し合いの場では抗議者たちに対して「ファシズムだ、表現の自由の侵害だ」と罵倒し、抗議を一蹴しました。(詳しい経過については、「理論社問題」のページを見てください)

 しかし、理論社はその後倒産し、「よりみちパン!セ」シリーズも宙に浮いた状態になりました。しかし、このシリーズは同社のドル箱シリーズでもあったので、最終的にイースト・プレス社が版権を買い取り、全巻復刊することを決定しました。(ちなみに、理論社はその後、経営陣を一新した上で再建されており、今では旧理論社の立場と一線を画した立場を取っています)

要望、交渉、回答

 私たちの会はこの情報を聞いて、もし復刊するならば、その中にバクシーシ山下の『ひとはみな、ハダカになる。』は入れてほしくないと考え、復刊をしないよう求める要望書を2011年に同社に出しました(資料1)。しかし、それに対する回答はまったくなく、その後、2012年になって、同社に出向いて話し合いを行ないましたが、その場でも、イースト・プレス側はこちらの要求を突っぱねました。この交渉後、「ポルノ被害と性暴力を考える会」として、質問状を出し(資料2)、それに対するイースト・プレスとしての正式の回答を求めたところ、2012年2月末、イースト・プレスの社長名で正式の回答が寄せられました(資料3)。(ただし、この回答書では回答の日付が2011年と間違って表記されています)。

 

 なお、この回答書には、添付資料として、2008年にバクシーシ山下の著作を出版した時の担当編集者の個人的覚書(バクシーシ山下の著作の出版を全面的に正当化する内容のもの)も付されていましたが、これは一個人のものとして掲載を差し控えておきます。

 その内容は、基本的にわれわれの予想していたものであり、ポルノが公然と存在する事実と「表現の自由」の名のもとにバクシーシ山下の著作復刊を当然とするものであり、抗議する側を「ナチズム」と罵倒するものでした。

 また、私たちの質問状と読み比べていただければわかりますが、イースト・プレスの回答の中には、バクシーシ山下の暴力ビデオそのものに対する評価は何もなく(自分たちが製作した物ではないという一言があるだけ)、したがって、そのような暴力ビデオを撮って名を成した人物が青少年向けに「性」について語る著作を復刊することの社会的意味についても、何も語っていません。それこそが、私たちの質問状の問いかけの核心であったにもかかわらずです。

 しかし、こういう形で正式の文書として見解表明させたことは、大きな意味があったと思います。というのも、理論社のときは、そうした公式の回答を求めなかったので、向こう側の言い分はただ口頭でしか表明されず、それを批判するにしても、こちらが自主的にとったメモを参考にせざるをえず、「言った言わない」の問題になってしまうからです。社長名で出された正式の文書である以上、それを取り上げて、しかるべき批判を加えることは非常に重要です。それは、「表現の自由」論がいかに歪められ、濫用され、「強者の特権」と化しているかを如実に示しています。

今後の展望

 さて、私たちはこの回答書を受けて、広く批判をつのるために、私たちの関係するところにこの回答書をお伝えし意見を求めました。現在すでに多くの意見が寄せられており、随時このホームページでも紹介していく予定です。また『週刊金曜日』でもこの問題は取り上げられており、それをめぐって論争が誌上で繰り広げられています(資料4)。

 なお、私たちはこの回答を受けて、後日、日付のミスなど何点か問い合わせをする文書をイースト・プレスに送り、それに対するイースト・プレスの再度の回答を受け取っていますが、その2度目の回答は、日付のミスについては認めているものの、それ以外の点について退けるものでした。

 また、この2度目の回答は、当会に対して、「全体主義的で狂信的な傲慢さと攻撃性」「全体主義国家と組織に日常的に認められる倒錯性と欺瞞性」「卑劣で狂信的」「常軌を逸する執拗さと攻撃性」云々という異様な罵倒の数々を加え、最後には訴訟や刑事告発も辞さないとの脅しを加えており、まさにこの会社の体質をよく示すものとなっています。

 私たちは、このような脅しに屈することなく、今後ともこのイースト・プレス社問題を取り上げ、批判の運動を展開していきたいと考えています。この問題は、理論社のときと同じく、一出版社の問題ではなく、暴力ポルノが単なる「表現」として擁護されている今日の日本社会の異常性をはっきりと示すものです。今後とも、みなさまのご協力をお願いします。