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イースト・プレス社への要望書(2011年8月)

 私たちは「ポルノ被害と性暴力を考える会」と申します。突然のお手紙に驚かれたと思いますが、ぜひ最後までお読みください。(なお、私たちの会についてより詳しくは、同封した自己紹介文にありますので、お読みください)

 貴社のホームページで、「よりみちパン!セ」のシリーズが全巻復刊されるとの「お知らせ」を見ました。第一弾として10冊がすでに復刊され、残るすべての巻も続々と復刊されるとのことです(http://www.eastpress.co.jp/panse/)。

 その復刊予定の中には、バクシーシ山下の『ひとはみな、ハダカになる。』も含まれています。私たちは、理論社がこの著作を出版した際に、そのことに強く抗議するとともに、回収絶版を求める署名活動を行ない、全国から、婦人保護施設、児童養護施設、知的障害者の施設などを中心に1万名の署名が集まりました。私たちはこの署名を持って理論社に赴き、長時間にわたって話し合いをしましたが、両者の言い分は平行線のままでした。

 バクシーシ山下というAV監督は、1990年代初頭に「女犯」というシリーズのアダルトビデオを撮影した人物です。この「女犯」シリーズというのは、出演女性に詳細をきちんと説明することなく撮影にのぞみ、実際にその女性がひどい暴力を受けたりレイプされたりした時のリアルな反応を映像に収めるという趣旨の実録もの暴力AVです。このアダルトビデオの中で、出演女性は実際に殴られ、蹴られ、髪の毛を持って引きずり回され、ゲロを何度も顔にかけられ、そして集団レイプされ、便所の水に顔を突っ込まれています。女性は泣き叫び、絶叫し、必死で許しを請うたり、時に反撃したりしますが、それらはすべて「男優」やスタッフたちの圧倒的な暴力によって押さえ込まれ、やがて彼らのなすがままに暴力を受け続けます。

 これは、映像に名を借りた正真正銘の性暴力であり、犯罪行為以外の何ものでもありません。出演女性が最初の時点で出演に同意していた、契約していたとしても、このような圧倒的暴力まで認めていたわけではありません。いずれにせよ、このような行為を無防備な女性にすることが許されるわけではないし、ましてやそれをカメラに撮って、それを販売することは絶対に許されません。

 このような性暴力映像をシリーズとして撮り続け、その後も、同様のアダルトビデオを撮り続けて多くの被害者を出した人物がバクシーシ山下です。そして、この映像を観て強い影響を受けた人々が後に引き起こしたのが、バッキー事件と呼ばれる事件です。バッキービジュアルプラニングというAV制作会社は、「女犯」シリーズを上回るような「迫力ある映像」を撮ろうとして、「水地獄」シリーズや「強制子宮破壊」シリーズなどで出演女性に同じようなむごい暴力を繰り返し、ついには重傷を負わせて、逮捕起訴に至り、裁判で最高で懲役17年の有罪判決が出ました。

 このような人物が、青少年向けの「よりみちパン!セ」の執筆陣に抜擢され、青少年向けに性を語るという名目の著作を出したことに、私たちは心底驚きました。出版元の理論社はもともと子どもや青少年向けに良書を出してきた老舗の出版社であり、あろうことかそのような出版社が、わざわざ暴力AV監督のバクシーシ山下に執筆依頼して、このような著作を出させたことに憤りを禁じえませんでした。バクシーシ山下は『ひとはみな、ハダカになる。』の中で、アダルトビデオの世界を紹介し、それへの好奇心を掻きたてる一方で、その世界に蔓延している性暴力(何よりも自分たちが行なってきた性暴力)の問題や、出演した人々がその後さまざまな困難や苦しみ、後悔を持つにいたったことなども完全に無視し、アダルトビデオの世界があたかも普通のことであるかのように、語っています。このような著作を青少年が読めば、たとえば男の子であればアダルトビデオで描かれているような暴力的性行為を普通のこととみなしてそれを日常において再現しかねないし、また女の子であれば、自分もアダルトビデオの世界に飛び込もうと思う人も出る可能性があります。そしてバクシーシ山下自身もそのことを念頭において書いています。このような人物の著作を青少年向けに出すことは、まさにその片棒を担ぐことであり、性暴力の幇助者となることです。

 同じ理論社からその数年後に出版された梨木香歩氏の『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(2011年、理論社)には、このバクシーシ山下の『ひとはみな、ハダカになる。』(直接明言されていませんが、明らかにこの著作を指しています)を読んだある少女が、バクシーシ山下に連絡を取り、実際にアダルトビデオに出演して、ひどい性暴力を受けて心身に深刻なダメージを受けたことを示唆する章が存在しています。その部分をコピーして同封しましたので、この問題の深刻さを考える上での参考にしてください。

 考えてもみてほしいのですが、青少年向けに「性」を語るのに、どうしてその性を徹底的に貶め、蹂躙し、金儲けの手段にしてきたような人物が選ばれるのでしょうか? 同じ「よりみちパン!セ」のシリーズには、湯浅誠氏による『とんどこい、貧困!』があります。すでに貴社によって復刊された10冊の中にもこれは入っています。湯浅氏はこれまで、貧困問題に真面目に取り組み、路上生活者の支援にあたってきた人です。青少年向けに貧困を語る人物として選ばれたのは、貧困をなくすために、貧困者を支援するために活動してきた人物でした。それに対して、青少年向けに性を語る人物として選ばれたのは、性をますます貧困にし、性を搾取と略奪の手段としてきた人物でした。この巨大な差はいったいどういうことでしょうか?

 想像してみてください。青少年向けに貧困を語る人物として、たとえば、以前に、面白半分に路上生活者を次々とリンチし、その模様をカメラに撮り、それを娯楽として販売するような人物を選ぶでしょうか? もしそのような人物を選んだとしたら、世論の大ブーイングを受けるのではないでしょうか?

 

しかし、リンチされるのが路上生活者(ほとんどが男性)ではなく、若い女性になり、リンチの目的が単なる侮辱から性的なものになったとたんに、そうした行為は、「前衛的な性表現」として容認され、多くの人々によって賞賛され、その行為を行なった人物は非難されるどころか、真面目な出版社から青少年向けに性を語る著作の執筆を依頼されるのです。これほど異様で不条理なことがあるでしょうか?

 どうかどうか、理論社が犯した過ちを繰り返さないでください。バクシーシ山下とその関係者によって、そして彼の影響を受けたその後の人々によって、殴られ、蹴られ、レイプされ、徹底的に人権を蹂躙され、重傷を負わされた女性たちのことを考えてください。そして、『ひとはみな、ハダカになる。』を読んで、暴力AVに出演してしまい、同じようなむごい性暴力を受けた女性たちのことを考えてください。これ以上、同じような被害を生まないためにも、どうか、バクシーシ山下の『ひとはみな、ハダカになる。』の復刊を見送ってください。