Social Harms | PAPS
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 ポルノは、特定の個人に被害を与えるだけでなく、それが広く社会に蔓延することで集団としての女性の人格権、平等権、生存権を侵害するという被害を与えます。私たちはそれを「ポルノの社会的被害」と呼んでいます。

社会的被害

 環境ポルノ被害

 私たちの周囲にはポルノ的なものがあふれています。スポーツ新聞の性風俗欄、電車の中吊り広告、キオスクで売られているポルノ雑誌やポルノ小説、性風俗のちらしやポスター、コンビニや書店で平然と並べられているポルノ雑誌やポルノ漫画。

 

 これらはいずれも、女性の裸体や半裸の姿を性的見世物として扱っており、漫画の類では少女を性的に扱ったものも、堂々と拍子を表にしてコンビニで売られています。また雑誌記事の中には、性暴力的、セクハラ的な内容のものが多数あり、その見出しだけでも十分、セクハラになっています。

 

 たとえ見たくなくとも、そうしたポルノ的なものは容赦なく私たちの視界の中に入ってきます。レンタルビデオ屋では、子ども向けのアニメコーナーに平気で子どもを性虐待の対象にしたポルノアニメが置かれていることがあります。

 

 インターネットの世界でも同じです。広告として無条件に表示されるものの中にはポルノ的コンテンツが普通に存在しています。子どもでも数クリックで簡単にポルノにアクセスできるネット環境にあります。

 

 私たちはこれを「環境ポルノ被害」と呼んでいます。これは「環境型セクハラ」と同じく、女性や子どもが(そして一部の男性も)安心して社会生活を送れない社会環境をつくり出しています。

 

 とくにそのポルノの種類が残酷な暴力ポルノである場合、それを心理的準備もなしに不意に目撃することで受けるショックや恐怖、恥辱感は、十分に被害として認定することができます。またポルノを直接目にする人が性被害者である場合には、なおさら受ける打撃は大きいと言えるでしょう。

 ポルノを通じた社会的地位の低下

 多くの女性はポルノを、とくに残虐な性暴力ポルノを忌避し、できるだけ目にしないようにしています。けれども、いくら自分が直接目にしなくても、それらが広く社会的に存在し流布され消費されているかぎり、それによって生じる女性の社会的地位の低下、性的蔑視の強化、女性の性的モノ化、性的不平等の深刻化という被害から逃れることはできません。

 

 さまざまなジャンルのAVの中では、女性は単なる性的消費物、玩弄物として扱われ、レイプされ、痴漢され、縛られ、殴ったり蹴ったりされ、天井から吊るされ、汚物をかけられ、檻に入れられ、器具や棒を性器や肛門に入れられ、針を刺され、首輪をされ、奴隷とされ、犬のように扱われ、動物と性交させられ、街中で露出させられ、糞尿をかけられたり食べらせられたりしています。このようなものが「娯楽」として毎年何千本、何万本も社会に流布されているのです。そのような状態を容認している社会がどうして女性の人格権や平等権を、そして安心・安全に生きる権利を保障することができるでしょうか?

 

 もちろん、被写体が女性や少女ではなく、男性であったり、同性愛者であったり、性転換者であったり、男児であったりする場合もありますが、そうした場合、ポルノはこれらの人々の人権をも侵害しています。

 

 この社会的被害は、被写体が実在の女性であっても非実写の漫画やアニメやCGであっても生じます。非実写ポルノの場合は、現実の女性や子どもには不可能なことさえアニメや漫画のキャラクターに対して遂行することができ(四肢切断から拷問殺害まで)、ある意味で、生きた生身の人間を使うよりもいっそう性差別的・性暴力的メッセージを発することができます(拷問されているのに、喜んでそれを受け入れて、強い性的快感を感じている少女など)。

 

 非実在の世界ではどんな残忍で非人道的な表現も可能であり、そうしたものがインターネットやコンビニや書店や同人専門店などで堂々と売買されています。はたして、このような社会が男女平等の社会と言えるでしょうか? そのような社会で女性や子どもが対等な人間として尊重されているなどと言えるでしょうか?

 

 多くのポルノ擁護論者は、ポルノを観た人間がみなレイプ犯になるわけではないからという理由で、ポルノの人権侵害性を否定します。しかし、ポルノが社会的に広く存在し流布していること自体が、すべての女性(および子ども)の人権を最初から侵害しているのです。

 

 それでもなお、このようなポルノの社会的流布がもたらす社会的被害について想像できない方は、女性を特定の人種や民族に置き換えて考えてみてください。特定の人種や民族をターゲットとした作品(実写であれ非実写であれ)において、それらの人々が別の人種ないし民族の玩弄物、奴隷や動物として扱われ、そういうものが大量に制作されて、(告発のためではなく)娯楽として楽しまれている状況があるとしたら、そのような社会が人種的に平等な社会だと言えるでしょうか? そのような社会において、ターゲットにされた集団に属する人々が尊厳と安心感をもって生きていけるでしょうか? 

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