「逮捕されて制作会社社長が顔を必死に隠しているシーンを見て思ったこと。
嫌がる女性たちに出演強要し、顔や体、最も知られたくない屈辱的なことを晒させて拡散しズタズタに傷つけて、自分たちは陰に隠れて巨額の利益を得る。
そんな鬼畜のような人たちはみんな顔を晒して責任を取って欲しいと思う。」
ぱっぷすが相談窓口を開設した2013年、最初の相談者の方の弁護士となって下さったのが伊藤和子弁護士です。当時はまだAV出演強要という概念もありませんでした。
最初に挙げた短文は現在最高裁で争われている伊藤弁護士のツイートです。ぱっぷすに関わっている人たちはこの内容に共感するのではないでしょうか。
ところが、AV業界のある業者がこれは自分を指しているツイートで、名誉棄損だと損害賠償の訴訟を東京地裁に提訴したのです。
そして、第1審(東京地裁)、第2審(東京高裁)ともに伊藤弁護士は敗訴しました。このツイートはある特定のAV業者を指し、名誉棄損しているとの判決でした。
現在、この訴訟は最高裁に上告されています。
この裁判の弁護団より、ぱっぷすの相談支援事業のスーパーバイザーのみやもとせつこに意見書を書いて欲しいとの依頼を受けました。
以下、ぱっぷすの7,8年にわたる活動をベースにして書いた意見書を公表します。なお、AV被害当事者保護の観点から一部伏字にしてあります。
大変に長文ですが、是非ご覧ください。ぱっぷすの歩みが分かります。
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AV業界の実態~被害者支援の経験から
NPO法人ぱっぷす(ポルノ被害と性暴力を考える会)
性暴力被害相談支援事業
スーパーバイザー 宮本節子
伊藤和子弁護士のツイートを読んだとき、この間8年ほどアダルトビデオ(以下、アダルトビデオを「AV」と略す)制作にかかわることによってその人生に甚大なマイナスの影響を被った女性や男性の相談を受けてきた者として、なんの違和感もなく、ある種の共感を持って、AV業界の実態を良く現わしていると思った。
私たちぱっぷすが対応している相談者を通じて理解するAV業界には鬼畜のような人間は沢山いるとの実感があるからである。
AV出演を含むプロダクション契約にサインをしたばかりにその後の人生をめちゃめちゃにされてしまった女性や男性の相談を数百件受けてきた実感をもとにAV業界と鬼畜を連想する関係とを述べたい。
なお、筆者はAV業界の人々を指して、すべて鬼畜と言っているわけではない。
相談者の語りには撮影現場のスタッフに助けられてぱっぷすにたどり着いた人もいるからである。しかしながらそのような聴き取りは例外的であって、大部分の相談内容は、AV業界と関わることによって受けた鬼畜の所業と表現するのが実態を言い得ていると思われるのである。恐らく伊藤和子弁護士のツイートは伊藤弁護士の経験に即した実感であり、それは私たちの聴き取りの実態に即応するものと理解する。
はじめに ぱっぷすの成り立ちと相談件数の増加
AVの制作過程、流通過程、消費過程には被写体に対する著しい人権侵害があることを女性福祉の現場ではすでに経験則的に知っていた。このことを広く社会に警鐘を鳴らすために、2009年に「ポルノ被害と性暴力を考える会(ぱっぷす)」を任意団体として設立した。
そして、2011年に他団体を介してAV制作に引きずり込まれることによって言うに言われない甚大な被害を被った女性の相談に初めて応じた。
2013年には自力でぱっぷすのホームページに辿りついた女性の相談があった。
この方は、今回被告にされた伊藤和子弁護士によりAVプロダクションと直接交渉をしてAV出演以前に事なきを得た。なお、8年前のことで当時は、AV被害という概念もなく、AV業界やAV問題に精通している弁護士もいなかった。
その意味では伊藤弁護士はAV被害対応の分野での弁論活動の嚆矢に当たる非常に貴重な活動を展開した弁護士である。従って、AV業界からは目の敵にされている存在でもある。
さて、相談窓口の必要性を痛感し、全国で初めてAV出演に絡んだ被害相談窓口を設置した。以後、ぱっぷすの窓口に寄せられる相談は年々増え、2021年2月12日現在、相談の累計総数は1001件。この総数のうち、何らかの形でAVに関わっている相談は約500件で、その内の約8割の方たちにぱっぷすの支援員が直接面接し、詳細に話を聴き取って記録に残している。
ここで、ぱっぷすの相談支援体制にふれておく。
現在、相談支援チームと映像削除要請チームの二班を組織し相談者の個別ニーズの対応に当たっている。スタッフは常勤、非常勤、ボランティアを含めて約20人で、それぞれの希望にそって職務が振り分けられる。相談支援チームには相談の支援プロセスに関するスーパーバイザー(筆者が担当)、削除チームにはネット上の技術指導に関してIT技術者がスーパーバイザーにつく。現在進行形の相談者数は累積および新規相談者を含めて約200人ほどである。
さて、相談件数は年々増加の一途である。この増加の背景についてふれておきたい。
契約時に口頭により、出演しないなどの行為は違約金の支払い義務を発生させると伝えるが本人にとっては不利になるその他の事柄は伝えないなど情報の意図的な操作が行われる。
契約時の情報操作により、女性の頭の中には出演拒否=多額の違約金がインプットされ、撮影途中でこれはヘンだ、嫌だと思っても違約金は支払えないので身体で支払うようなとんでもない性暴力を受けざるを得ない事態に陥るのである。このように不当な契約でAVに出演してしまってその後の人生に非常な困難が生じたが誰にも相談できないでいた方たちが潜在的に多く存在していた、いると思われる。
相談を寄せる時のメールの文言は象徴的で、“自業自得”、“自己責任”というキーワードが使われている。これはプロダクション契約時の判断を誤ったことに対して、何故どの段階でも逃げ出してすぐに助けを求めなかったのかという後悔の念などを端的に表した言葉である。
自己認識としても暴力的に拉致監禁されていたわけではない。それゆえに、自分がバカだったと自分を責めてきたが、責めたからと言って問題が解決するわけではなく、他者に助けを求めたい気持ちがようやく高まる。
社会的に“AV出演強要”という用語が広がりメディアで報道されるにつれて、“これって私のことね”と認識できるきっかけになっていった。
相談していいことかも知れないという発想が生まれ、ぱっぷすにアクセスする人たちが増えた。自分の困った問題が相談に値する問題だとも思ってもいなかった人たちが、ひょっとしたら自分のことも相談してもいいのかもしれないと発想の転換をするに至った。
初期の頃には、私のような者でも相談できますかと長々とした前置きを置いた形のアクセスが結構あったが、現在のアクセスは単刀直入に相談したい主題から始まっている。
1 AV業者と鬼畜の連想の背景
ぱっぷすのスタッフたちの多くがAV業界の業者たちをイメージする時、“鬼畜”ないし“鬼畜の所業”ということを第一に思い浮かべる。このようなイメージが作られる理由には二つある。
その一つは、AVのジャンルの中に鬼畜ものが実際にあることによる。
鬼畜もののジャンルには根強いファン(=消費者)が存在し、業界としてのドル箱になっていると思われる。鬼畜ものと鬼畜ものを制作する人間とは別だという論もあるかもしれないが、支援者の目からすると鬼畜ものの映像のし烈さや残酷さは容易にそれをイメージし制作する者たちの人間性とが重なってしまうのであって、この連想は当然の成り行きではないだろうか。
実際、「鬼畜もの」撮影の過程で、被写体である女性たちに加えられているのは拷問と言ってよいほどの有形力の行使、暴力、拷問で、多大な苦痛を与えられている。
2004年にバッキービジュアルプランニングという制作会社が、暴行凌辱系AVを大量に制作し、被害女性の訴えで東京高裁が代表者に懲役18年の判決を下したが、これは氷山の一角と言えるだろう。
その二つ目は、AVに関わったばかりにその人生に取り返しもつかないくらいに甚大な被害を被った数百人に及ぶ人たちに直接面接することで得られたAV業者の所業に対する実感である。AVの制作過程、流通過程、消費過程に広く浸透している被害の実態はAV関係業者による「契約」形式を利用した女性に対する性暴力であり“鬼畜の所業”の結果である、と。
一つひとつのプロセスやエピソードのみを取り上げた場合は、それはよくはないがだからと言ってその行為を鬼畜に例えるのは言い過ぎではないかとの反論もあろう。
しかし、ここで押さえておかなければならないことは、女性たちがAVの制作・流通・消費過程に巻き込まれるにはAV業界による一定の誘導プロセスがあり、そのプロセス全体を総体として検証し評価しなければ、女性たちが被っている被害の実情、実態は見えてこないということである。
そして、被害の実情、実態から形成される私たち支援者のAV業界イメージは“鬼畜”というキーワードに落ち着く。「鬼畜の所業」に該当する慣行はAV業界に広く存在するというのが支援者の認識である。
2 AVの本質とAV被害
(1)AVの本質
出演強要問題と鬼畜の所業について論ずるにあたり、その前提となるAVの本質と出演した被写体の被る被害の特性について押さえておきたい。
AVの本質は以下の要素に収れんされる。
第1に、AVは性的欲求を満たすエンターテイメントとして制作されている。主たる消費者(視聴者)はほぼ男性に限られる。
第2に、AVの中には視聴者の飽くなき性的欲求に応えるために女性に対する徹底的な憎悪・侮蔑(ミソジニー)を基本コンセプトに性的商品として制作されている作品が多い。つまり、需要は被写体をいかに侮蔑し人間としての尊厳を凌辱し破壊するかということころにある。被写体は女性、もしくは女性化(性的な女性の立ち位置に代替えされている男性)された男性である。被写体である女性ないし女性化された男性を徹底的に客体化(被写体という一個のモノとして扱い、人間である被写体に対するリスペクトは微塵もない)し、女性としての尊厳の破壊、女性を凌辱し侮蔑することにありとあらゆる工夫を凝らして制作することが基本コンセプトになっている場合が圧倒的に多い。この潮流は、撮影機器の発達による映像制作の簡便化とインターネット技術の飛躍的な革新によりグローバルかつ大量に配信可能になった20世紀末から21世にかけて飛躍的に進展してきた。
第3に、インターネット社会における性的映像の大量生産と大量消費の現象の出現である。女性の性を売春という形で売買、消費してきた永年の歴史的・文化的な背景とその社会的蓄積が深く関与しているものと思われる。
女性の性の商業主義的消費に関しては、アクセルはあるが社会制度としてのブレーキ(公衆衛生的な身体管理の観点と軍事的に健康な兵隊の確保の観点から国家が関与した時のみブレーキがあった)を形成できなかった歴史がある。
映像という形でインターネットに解き放たれた女性の性の消費行動により、ある種の男性の性的消費欲望は際限なく拡大し、かつ、その消費者を多量に呼び込む産業サイクルがこの10年から20年ほどで仕上がったと思われる。
インターネットの匿名性という特性によって人々の性的欲望はむき出しになり、巨大な消費者層が形成され、その消費規模に見合う生産機構が出現した。人間社会が今までに経験したことのない大量の性商品の生産と性商品の消費である。
インターネットのグローバリゼーションによってこの20年ほどでアクセルは幾何級数的に加速度が付いている印象を持っている。消費者の性的欲求を刺激し開発すればするほど儲かる仕組みが仕上がったのである。
第4にその制作手法は基本的に実写である。
従って、もっとも中心的なAVのモチーフとなる性交行為は実際に行われていることを前提として制作される。この制作手法は、かってのエロ映画(日活ロマンポルノが代表的)の性交行為は演技や模擬であったことの対極にある。
もはや現在の視聴者である消費者の性的欲求は実写の性交行為等でなければ満足しない域に達している。売れる商品に仕立てるために、性器の結合部分をいかに見せるか、女性性器をいかに扇情的なアングルで撮るかに工夫が凝らされる。商品としてのAVにはボカシを入れるがボカシを入れる前段階のシロ素材(原版)に対する需要は極めて高いので無修正動画が流出するのは必然である。
第5に、視聴者の際限のない性的欲求は、もともと嗜虐的な要素(写真や絵画では緊縛モノは一大ジャンル)がふんだんにあるAVにおいて、拷問の実写をエンターテイメント化し、“鬼畜”というジャンルを形成させた。鬼畜のジャンルは販売・消費においては建前と現実とがきわめて倒錯した状態となっている。
あくまでも拷問は“演技”であって実際ではないとの建前の基に販売している。
一方、消費者は限りなく本物に近い拷問が行われていることを欲求する。
実写でなければ視聴行為を起こさない。それほどまでに現在のAV視聴者の性的欲求は過激に刺激され開発されてしまっているのである。このことは実際の盗撮とやらせの盗撮とを見分ける視聴者の鑑識眼のレベルにも相応する。もちろんやらせの盗撮の商品価値は低い。
鬼畜もののAVは、現在の刑法のわいせつ罪に抵触しない限り違法ではないとされている。エンターテイメントとして享受するモノは映像であるが、その映像の基になっているのは現実に生身の女性に加えられている拷問の場面である。
映画などでは拷問の場面があるが、これは拷問の場面を撮ることを目的化しているわけでなく、ストーリー全体の必然として拷問場面が写されている。私たちの社会では拷問の実写をエンターテイメントにすることには一定の抑制がかかっているが、AVにおける拷問は拷問が娯楽として目的化されているところに大きな逸脱がある。
女性の身体が被写体であれば、AVにおける表現の自由として何故か許容されてしまう非常に倒錯した社会状況が醸成されていることを指摘しておきたい。
実際の拷問がそうであるように、AVの中の拷問も、エンターテイメントにされた被写体としての女性の心身に、物理的・言語的侮蔑を加えることで展開される。
外国人に対するヘイトスピーチは、2018年にヘイトスピーチ解消法(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)となって施行された。さらに一部の地方公共団体では条例をもって規制する方向が採られている。この規制の方向を踏まえれば、AVが写し出す映像は女性への偏見と差別を助長、扇動する、言論におけるヘイトスピーチのビジュアル版といっても過言ではない。
AVのタイトル一つとってもいかに扇情的かつ女性侮辱・侮蔑的であるかが競われている。
タイトルそのものをあげることはしないが、タイトルに使用されるキーワーズをあげておこう。「肉便器」「鬼畜輪姦」「痴漢」「強姦」「奴隷」「凌辱」「鬼調教」「ゲロ便女」「メスブタ」「拷問」「孕ませ」「生中出し」「ぶっかけ〇連発」などがさまざまに組み合わさってタイトルとなる。
(2)AV被害とは
何をもってAV被害というかについて概略を述べる。
AVに関わって甚大な被害を被った女性たち(男性たち)の被った被害特性と被害の重層性についてぱっぷすの観察と分析をもとに言及する。
この被害はインターネットの爆発的な拡大と映像制作テクノロジーの発展を背景に生じており、従来の性被害とは様相を異にするまさに21世紀的な性被害である。
これをデジタル性暴力被害と呼ぼう。デジタル性暴力は性暴力として女性への差別構造を基本にしていることはまったく変わりはないにしても以下の特性が加わっていると思われる。
(3)AV被害の特性
従来の性暴力被害の特性に加えてデジタル性暴力には以下の特性が加わる。
➀実社会で起きた性被害とネット空間でばらまかれるその性被害情報とが常に連動されて生身の女性の実生活を直撃する新しい現象の性被害である。動画や画像が実名その他のプライバシー情報と紐づけられて個人の実生活が脅かされ、破壊されるのである。
②個別の性暴力の実写がネット空間に拡散する。
実写映像は不特定多数によって再生されることによって他者に自己の究極の性的プライバシーがエンターテイメントとして視聴されることによって当該被写体に激しい精神的苦痛や屈辱感をもたらす新しい態様の性被害である。
③被害者は自分の性情報なのにネット空間に広がった自己の性的情報は自力制御不能な状態に置かれる。この状態は被害者の実生活を脅かす故に底知れぬ恐怖と不安、焦燥と絶望をもたらすことによって精神の安寧を根本的に脅かす。
④AVに対する需要の存在によって、性暴力とその結果としての性被害そのものが商品となって生産され流通するシステムが世界規模で仕上がった。
性被害映像が商品となるこの現象にはアクセルはあるがブレーキがない。性暴力の被害映像が商品化され売買される分野がグローバルに成立した中で発生している性被害である。
⑤AV業界という一大産業が発展する一方で、比較的容易に誰にでも駆使できる技術開発により、業界に参入することなく個人で自由に制作、頒布できるようになった。このことにより被害はさらに拡大される。
⑥次項で改めて述べるように、AV被害はその時一回限りの被害ではなく(一回限りの被害であってもトラウマは永続する)、実態としての被害が重層的、波状的に一人の個人の上に繰り返し押し寄せてくるという特性を持つ。
(4)被害の重層性・波状性
さて、デジタル性暴力による被害はその事象が実生活とネット空間を行き来し、一定の時間経過により異なる被害実態が出現してくるのが特徴である。デジタル被害の出現する時期と被害特性について、ぱっぷすの観察によれば、被害直後から長期的に続く被害まで、以下の4段階に分けられる。
第1期被害
第1期被害の特性は実生活で起きている性暴力そのものである。あらゆる映像制作技術と制作者の想像力と創造力が駆使され、多種多様な性暴力が現に撮影現場で振るわれた結果起こる性被害である。なお、撮影に至る前段階でスカウトらによる詐欺、騙し、脅しなどの犯罪的行為が伴っている場合が多い。
第2期被害
究極のプライバシーである自己の性的動画・画像がネット上に拡散することによって起きる被害である。
ネット社会だからこそ起きる被害なので極めて21世紀的な様相を呈する。
動画・画像のネット上での拡散の規模と量は自らでは制御不能であると同時に誰にも制御できない、つまり無限とも言える拡散と完全には削除できない事態となる。
このことは性的プライバシーの深甚な侵害をもたらす。被害者の平安な日常生活と精神の安定が破壊されていく。
第3期被害
第1期被害と同様にやはり実生活で生じるがその特性は、撮影された動画や画像が販売等され拡散した後に起きる。
この段階で被害女性が直面するのは、流通した動画や画像は知人友人に身バレし、身バレによって生じた社会的差別、社会的排除である。非難、嘲笑、蔑み等を伴って見世物として晒され、尊厳と人権の著しい侵害をもたらす。退学、退職、離職、婚約破談、離婚、転居、我が子への負の影響等の事態に追い込まれる。
第4期被害
第4期はその後生涯にわたって続く長期的な被害である。AV被害の実態について、ぱっぷすとしてはたかだか10年にも満たない観察とその分析なので以下は推測も含まれるが、長期的な影響は次のように考えられる。
被害者個人にとっては実生活とネット空間とで発生した被害が生涯に渡って続くことを認識せざるを得ない事態となる。自己の性的像がネット上に常に大量に存在するので自己の記憶の消去、希薄化による一種の癒しが体験できなくなる。
我が身に起きた性暴力に常に直面せざるを得ない日常となる。そこでは感情の鈍磨こそが救いとなる。事実、中には精神科、診療内科、カウンセリングなどの治療を受けるようになり、精神障害者保健福祉手帳の取得に至る被害者もいる。
現在、ぱっぷすでは当事者同士が語り合う場の設置を模索している。試行的に極く小人数でのミーティングを持っているが、その場でも当事者の持つ傷の深さを思い知らされているのである。ぱっぷすの担当者もこの人は大丈夫と思い、当人も自分は大丈夫と思ってミーティングに臨んだのにトラウマの症状の一つ、過呼吸を起こした例がある。それでも語りたいとの気持ちがあるのだ。
面接の場面でも支援員は相談者が過呼吸を起こす場に遭遇することがある。相談者は自分がこのことを話せば過呼吸に陥るかもしれないと自覚しつつ、それでも出口を求めて模索している。
第1期被害から第4期被害に共通する被害は人としての尊厳が破壊される苦しみである。結果PTSD等の精神を病む者が現れる。ぱっぷすでは複数の自殺者を確認している。被害はある種の段階性をもって現れるが、これはあくまでも便宜的な整理なので、個別には、第1期から第4期まで一気に突き進む場合、各期の被害が重層的に現れる場合、数年の時を経て緩徐に現れる場合などがある。
3 出演強要について
“AV出演強要”といった場合の裁判所が抱いてきた“強要”のイメージは、拉致監禁してがんじがらめに身体拘束の上撮影するということであろうか。現実はまったく違う。私たちぱっぷすがこの間7,8年に渡って観察してきた“AV出演強要”の実態は、むしろ“拉致監禁、がんじがらめの身体拘束”という状態からは程遠いものである。
物理的暴力を振るう場面は撮影時であって、撮影に至るプロセスでは執拗な説得、契約書にサインさせ、契約を盾に要求する、だまし、違約金の脅し、困惑や恐怖に乗じるなど、圧倒的な立場の違いを利用して、逃げ道をふさいで取り込んでいくのである。
2014年ごろから、AVに係わることによって被る被害を表す概念として“出演強要”という用語が使われるようになったが、“強要”を刑事犯の強要罪のイメージで狭くとらえるならば、実態を正確には表現しきれていない。
さらに、重要なことは、AVに出演した方たちには何らかの形で自分の意志と行動が関与した結果、今の自分が非常に困惑している事態を招いているとの認識があるという点である。スカウトの話を断らないで聞いたのは自分、誘われて自分からプロダクションの事務所に行ったのは自分、話を聞いて契約書にサインしたのは自分、という認識である。重大な結果をもたらすこれらの当事者の行為はそのほとんどがいわゆる拉致監禁されて暴力的に“強要”されたわけではない。客観的にも主観的にもいわゆる“強要”というイメージからは程遠い実態がある。
にもかかわらず“強要”という用語が妥当だと思われるのは、交渉力において圧倒的に弱い立場に置かれ、個々の局面で断ることができない状況に置かれたまま被写体となり性的商品が売り出され広く拡散した結果、自分の生活にたとえようがないほど甚大なマイナスの影響を被っているプロセス全体を通じて、そこにはスカウト、プロダクション、メーカー及び流通機構などの性的商品を扱うAV業者の仕組みに乗って一人の被写体を誘導していく全行程の手法が仕上がっており、これほど女性の人権を踏みにじる行為であるのにこれらが適法であるかのように取締まる法がなく、野放しにされ、若い女性に対して、全体には個人の側から見れば紛れもなく“強制”ないし“誘導”と言える強大なベクトルが働いているからである。
一点を取り上げて云々してもそれは些末な点に過ぎない。被写体と目される一人の個人を性的商品に仕立てていく明確で意図的な営為が存在している。
内閣府は、2017年以降、AV出演強要問題について被害防止や相談を呼び掛けるようになったが、強要罪に該当するような物理的強制がなくても、広く意に反する出演や、本人の同意を得ない無修正配信も含めて、「AV出演強要」として広報啓発に取り組んでいる。これは、私たちからの働き掛けもあり、以上のような被害実態を理解したうえでそのような被害のとらえ方をしているのである。
このことをまず踏まえて、以下にAVの制作、流通、消費過程でいかに“鬼畜”的人権侵害と人権冒とくが横行しているかについてぱっぷすが直接面接などして係わった400件余の事例に基づいて論述したい。
4 鬼畜の所業
現在のAVは基本的に性交行為の実写であることは前述した。
性交行為とは特に女性の身体への侵襲性が濃厚な行為であって、この行為に類似する行為は医療行為のみである。現在の医療では患者に対して医療者側からのインフォームドコンセントが重視される。しかし、AV制作では女性の身体への侵襲性の濃厚な行為を基本にしているにも関わらず医療現場で行われているようなインフォームドコンセントに匹敵する仕組みはまったくない。
面接を通して作られてきた“鬼畜の所業”のイメージが形成されるもとになる具体的なエピソードを以下に述べる。
歯止めのかからなくなっている現代社会の性的欲求に商品として応え売れるものを制作するには、スカウトにしろAVのプロダクションにしろ、または映像制作会社にしろ、消費者の欲求を忠実に反映した映像を制作するのはある意味当然のことだ。
AV産業全体として「性的に過激で扇情的な映像」を撮ることに専心する。
「性的に過剰で扇情的な映像」とは被写体にとっては心身ともに耐え難いほどの凌辱を受けることを意味する。
ここで重要なのは、AV関係者はこのことを十分に承知の上で女性を誘導している、ということである。
これからこの女性が拷問を受けることになっていることを承知の上で誘い込むあらゆる行為を、鬼畜の所業を言わずしてなんということができるであろうか。
AV関係者は女性に将来起こるであろうことをすべて知っている。知っていながら、肝心のそのことを伝えずして誘導しているのである。
個別の関係者の行為は大きなものではないかも知れないが、それら集積した結果AVを撮影し、販売されてしまった女性の被る被害はたとえようもなく大きなものとなる。その結果についてAV関係の業者は経験則的にすべて承知しているのだということを強調しておきたい。
(1)スカウトの段階でおきること
事件化することができなかったが典型的なAV出演強要の事例である。
Aさんは有名大学の学生で、将来はモデルを目指していた。抜群の容姿は人目を惹き、道を歩いていてもスカウトに声を掛けられるとこはしばしばであり、それ故に執拗なスカウトマンの断り方も慣れていた。ある日の夕方、大きな駅の雑踏でスカウトに声を掛けられた。いつものことなのですげなく興味ないからと断わった。
いつも以上にしつこいスカウトマンで、行く手を阻む身のこなしも抜群で逃げようとしても立ちはだかる。いろいろな相談者がどうしても逃げられなかったと語っている身体スキルの巧みさはスカウトマンに特徴的なことである。ある週刊誌の女性記者の体験を直接聞いたのだが、この記者はスカウトに付きまとわれた時心底恐怖を覚えたと言っていた。彼女は取材で暴力的な人を相手にすることもあるのだが、それでもその執拗さと行く手を阻む身のこなしは怖かったという。
雑踏の中で行く手を阻む身体的並びに言語的スキルはスカウトマンの必須要件とも思われる。通常は雑踏の中では道行く人々に一人の女性が非常に困難な事態が陥っていることは気づかれない。
スカウトは引き込もうとする喫茶店の方向にじわじわと押し込んでいき、誘い込む。Aさんはこの段階で、雑踏の中でのやり取りに埒が開かないので話だけでも聞いて“あげて”、断ろうと考えたという。
“あげて”と認識する点に主体的な意志が絡んだと自覚するには十分な痕跡となる。話を聞いて“あげれ”ば断われると考える人は稀ではないが、この時点でスカウトの土俵に乗ってしまったことになるのである。
喫茶店に誘いこまれた後の展開の主導権はスカウトに握られる。喫茶店の中のどこの場所を選ぶか(奥のほうの人目につかない場所)、席についた時どの椅子に座るか(Aさんの方が逃げにくい奥の椅子)はスカウトにとっては重要な要素と思われるのだが、喫茶店内の然るべき場所、然るべき席に座らせた後は、とことん粘るスカウトの話術の巧みさに事の次第は委ねられる。Aさんには打つ手が奪われてしまい、なす術もない。これまた蜘蛛の糸にからめとられた虫の状態となる。
Aさんが契約書に署名するについて、別に腕を掴まれて署名したわけではなく、つまり物理的暴力が振るわれたわけではない。Aさんとしては、進んでやったかどうかは別にして、自分が署名したという認識である。
以上だけでも十分に恐ろしいが、このエピソードの恐ろしい点は後日談にある。
Aさんは精魂尽きて契約はしたが積極的に同意したわけではないのですぐに断る方向で行動を起こした。契約した事務所に赴き契約を取り消そうとしたのである。待ち構えていた事務所にて強姦されその様子を映像に撮られた。そして、この強姦と撮影を脅しに使ってAさんをAV出演させていったのである。紛れもなく犯罪行為がなされたわけであるが、Aさんには警察に訴える力をうばわれてなす術もなくAV出演を続けざるを得なくなった。
Aさんはぱっぷすに相談に来て以上のような話をしてくれたが、その後は連絡が途切れた。AV動画は現在もネットに流れ続けている。要するにこのような手段で撮った動画で儲け続けている者がいるということだ。
スカウトの段階で、スカウトはいかに狡猾に女性を取り込んでいくかを相談事例をもとに述べたが、同じような狡猾で悪辣な騙しが、契約の段階、撮影の段階で起きているが冗長になるので省略する。
(2)契約をした後に何が起きるのか。
AV出演のプロダクション契約をする女性たちは、モデルになるとか芸能人になるという誘惑で契約に誘い込まれることがほとんどである。
そして、伊藤弁護士が担当した事案のようにプロダクションがAVプロダクションと名乗らずに、モデルや芸能人になれると思いこんで契約する女性たちがいる。Aさんのように、執拗に説得されて断り切れずに契約をしてしまう女性もいる。
AV出演のプロダクション契約をした女性たちは、契約時には、性行為を実際に行うことや、性行為でなく拷問を加えられることは知らされていないことが少なくない。
契約書にはAVという用語が使われていない場合も多いが、AVと明記されている場合もある。しかし、AVと契約に記載されている場合でも、多くの場合、若い女性たちはAVの撮影がどのようなものかは知らずに契約しているのである。
契約の文言上はAVという用語を記載しているが、AVの撮影はいやなら断れるとか、AVに出演しても「身バレしない」という言葉が決まり文句である。
業者によるきわめて巧妙で狡猾なAV出演への導入である。ぱっぷすでは多くの女性たちに面接してきたが、契約時間はせいぜい15分程度で難しい法律用語で書かれている契約書を理解したことにして署名捺印するのかが通常であるが、難解な法律用語を理解して署名捺印できた女性はおらず、混乱したまま署名捺印する。ペナルティーとしての違約金が課されるという情報と、仕事は選べるし、撮影は嫌なら断れるだろうという希望的観測が同時にインプットされる。
しかし、いったん契約をしてしまうと、違約金や契約をたてに有無を言わさず、出演を迫られ、勝手にスケジュールが入れられ、有無を言わさない勢いで、流れに巻き込まれてしまう。
実際には、女性たちは事前にどのような台本かも知らされず、何を行うかも知らされず、何をされるかも知らされずに撮影現場に呼び出される。制作側は、男たちに拷問を行わせて撮影をすることを予定しているが、正確には女性たちに知らせない。
一旦、拷問などAVの撮影を経験すると、女性たちは、自分が物として扱われたことに傷つき、「これは演技なんだ」と自分を納得させ、「自分が契約したから悪かった」と自分に言い聞かせ、全てが終わるのをひたすら耐えて待つ。
強制性交で侮辱された女性たちが持つ感覚と似ている。自分が黙っていれば誰にも知られない、「身バレ」しなければそれでいい、と自身を思い込ませることが唯一の救いである。そう考えなければ、精神に変調をきたすから、そう自分に思いこませるのである。このような自己暗示はしばしば失敗し破綻する現象をぱっぷすでは観察している。
AVはファンタジーだとしばしばいわれるが、ファンタジーであれかしと願うのは視聴者であって被写体となった女性たちが体験するのは拷問そのものである。
例えば、両足を開脚して縛り上げ空中釣りにする態勢はどのように手加減しようとも拷問そのものと言えるのではないか。現場でそのような撮影が行われている最中や撮影後、被写体に対して“よく頑張ったね”と賞賛の言葉を浴びせる。
この言葉は効きの悪い呪文のようなもので、ぱっぷすに相談にやってくる女性たちの多くはPTSDに苦しんでいる。
(3)AV出演と身バレ問題について
AVがらみで最も多い主訴はネットに流れている動画の削除に関する相談である。販売後1,2年から4,5年経過後の相談が多く、中には10年以上も前のことで相談が来ている。過去に遡っての相談は、過去の事柄が現在の女性の生活に現実に甚大なマイナスの影響を及ぼしていることの証左だ。被写体となった女性にとって撮影時の過去の問題ではなくその時の映像が拡散している現在の問題なのである。
ところで、追い詰められてにしろ自発的にしろ、出演を決意する時点でこの決意を後押ししている重要な要素に“身バレ”問題がある。
誘い込む段階では業界関係者は“身バレ”の問題があることを決して伝えていない。逆に女性から聞かれると“身バレはない”と否定し、AVは如何に身バレしにくいかを弁舌巧みに説得するのである。
例えば、毎年何本のAVが施作されていると思うか、あんたのなんか星屑の一つに過ぎない、あるいは、飛行機事故に遭うよりも確率は低いなどともっともらしく業界の人に言われれば、それもそうかなと思うのは当然だ。
今まで必死に出演を断ってきていたが、執拗な勧誘に根負けし、そのくらいのことだったら、この場を逃げられる手段として妥協する心理が働くのである。
業者はその心理状態になることを待ち構えている。
業界関係者は、決定的に重要な事実をまさにインフォームドコンセントせずに、重大な詐欺又は騙し、錯誤に導く言説を弄して、ターゲットの女性の気持ちをAVへ誘導していく。
身バレ問題に関して言えば、女性は身バレする可能性が高いことを知れば決して出演はしなかっただろう。
従って、虚偽の情報を与え続けて誘導し出演契約をさせ、個々の撮影現場に立たせたAV関係者業者の所業は、以下の3つの点で“鬼畜”だと思わざるを得ない。
① AV関係者はAVに出演しようとしている女性は身バレを出演の可否の決定的要素
と考えていることを知っている。だからこそ本当のことを伝えず、出演へと誘導する。 ②AV関係者はAV出演した女性はほぼ間違いなく身バレしていることを知っている。にもかかわらず、身バレした女性がいるとしたら、バレてしまった女性の対応が如何にまずかったかを説く。つまり、バレた時の対応として徹底的に否定しろと言ってあるのに、そうしなかった者が悪いと責任転嫁するのである。 ③身バレした女性のその後の人生が悲惨な状況になることを知っている。
にもかかわらず、人生にどのような影響を及ぼすのかを伝えないままAV撮影に誘導する。
女性とAV関係者との圧倒的な情報量と交渉力の格差を巧みに利用して“女性を落とす”のである。相談者の話を聞いていると蜘蛛の糸にからめとられた虫や蟻地獄に落ちた虫のもがきを連想する。
(4) 無修正の被害
被害の深刻さ甚大さにおいて突出している無修正動画の被害については特記しておきたい。
これは販売・流通・映像の視聴(消費)の段階で起きる。AVがらみの相談内容のほぼすべては販売拡散されている動画の販売停止とネット上からの削除である。さらにその中で大きな割合を占めるのが無修正物の削除の相談だ。
ネット検索をすれば簡単に無修正物の動画たどりつける実情にある。無修正の動画が流出している相談者の苦悩は計り知れないものがある。もっとも秘匿したい自身の性的プライバシーがネット上で衆人環視に晒されているのである。
無修正ものが流通するには三つのルートがある。
ルートその1
合法的なAVとして販売流通している商品は当然ぼかしが入っている。当然のことながらボカシが入る前の原版(シロ素材)は制作業者をはじめてとして撮影者、監修者等複数のものが所持している。どこの誰からという流出経路は不明だが、事実として外国のサイトを通じて無修正物が流出している。もちろん契約書には無修正物についての言及はない。ぱっぷすの知る限り、制作会社は無修正物が流出した責任を負ったことがない。
ルートその2
AVプロダクションが制作会社と提携して、海外の無修正アダルトサイトであるカリビアンコム、一本道などに無修正動画を提供する場合だ。
被害者はAVを撮影することまでは認識していても、無修正で全世界に配信されることを知らされない場合も多い。無修正の場合、女性は英語の出演承諾書にサインさせられるが、英語の難解な契約書などわからないのに、「手続だから」と言われ、まともに説明もされないまま、いわば騙されて署名させられている。
海外のサイトから配信するのは、日本国内で無修正動画の販売・配信は違法だからだ。海外で運営されているサイトが日本に向けて配信することは日本法で処罰されない。
しかし、海外サイトに無修正動画を提供することが処罰対象であるはずだが、摘発は十分に進んでいない。そんななかでも今回の事件でも登場したプロダクションは、過去にも無修正動画の製造にかかわったとして摘発されていたが、その後も繰り返している。
今回の事件の後、業界団体のルールで、無修正動画に女優を派遣しないという内容が加わったと聞くが、そうした業界団体に加わらない制作会社は今も、無修正AVの製作を続けている。
女性は無修正動画に出演させられ、性器と性行為が全く隠されずに全世界にさらされることに苦しむ。
無修正サイトはだれに交渉して下げてもらえばよいかもわからないため、苦しみは一生続く。そして、犯罪行為に自分自身も関与したという刻印を押されるのだ。
ルートその3
無修正物を撮ることを目的で女性たちを勧誘する個人営業の場合である。もちろん、女性たちには甘言を弄して誘い込むのだが無修正物を撮ることは事前には告げない。これらの無修正物の制作販売はゲリラ的に行われており、警察に挙げられる場合は氷山の一角である。莫大な利益を生むために刑期を終えてもまた再犯する例を確認している。
無修正物の動画の実物を視聴してもらえれば一目瞭然であるが、まさに女性たちはヘビにいたぶられるカエルの状態であり、視聴者はこの状態を楽しみ、制作者は無修正物をネットに流すことで莫大な利益を生む社会の循環が出来上がっているのである。
5 ぱっぷすスタッフが追体験する二次被害体験
ぱっぷすでは現在常勤、非常勤、ボランティアを含めて20名近い人々が従事していると先に述べた。被害者が語る被害の様子及びその画像はそのことに直接かかわりのなかった者にとっては非常に衝撃的で心身に激しい反動を巻き起こす。
ようするに極めてストレスフルなのである。
例えば、動画の削除作業は当然動画そのものを視聴するが、ミソジニーのメッセージ満載のAV動画を大量に視聴する作業となる。このような画像を視聴する作業のストレス度は極めて高い。ぱっぷすでは、削除作業に係わるスタッフのみならず相談面接で厳しい被害の実状を聴きとるスタッフもそのメンタルケアが大きな課題となっている。筆者も寄せられる相談者の映像は職業的義務として、相談者の置かれている状況を確認するために当該動画を必ず視聴している。数年このことに携ってきた現在は比較的慣れてはきたが、要するに感情が鈍磨してきたが、当初は悪夢にうなされて目覚めることが多かった。悪夢を見た日は当然一日心身の具合が悪かった。
ぱっぷすの削除や相談支援に携わっているスタッフに、日々の業務の中で感じていることについて意見を寄せて欲しいと呼びかけたところ以下の文が寄せられたので紹介したい。
① スタッフAさん
私はぱっぷすサイトや理事の北原みのりさんの発信により被害の実態を知るまでは「AVを見る事は悪いことじゃない」と思っていました。
ぱっぷすの業務では日々、これまで自分では足を踏み入れずにいた、「虐待映像」の海原を泳いで削除作業を行います。
「レイプ」の文字が並ぶタイトルや、「アナル強制」「おじさん、お願い もうお家に返して(ブランコに乗る幼女と年配男性が写るパッケージ)」「メス犬調教」「性奴隷にして下さい」「孕ませ地獄」、、、もちろん「鬼畜」の文字も容易に見つかります。そうした嗜虐的な文言が嫌でも目に入り、拘束された泣き叫ぶ女性やさるぐつわをかまされ顔を歪ませる女性のパッケージをかき分けてかき分けて、相談者の動画を探します。
あまりのヘイトに打ちのめされて、号泣して事務所を飛び出したこともありました。でも、自分がやらなきゃ誰がやるのかという思いで、パッケージに写る女性たちに「絶対仇打つからね」と語りかけながら、、メンタルケアの術を模索しながら、日々仕事をしています。
相談員が一人の女性として毎日ヘイトを浴び、傷ついている要因は何なのか?ぱっぷすに寄せられた何百というAV被害の元凶は何なのか?他でもない、AV業界の鬼畜の所業によるものです。
② スタッフBさん
私は相談者から削除依頼があったAVをとてもたくさん観る業務に携わったことがあります。それはとても辛く苦しい作業でした。少女をレイプするビデオを見た日は、夜半に目覚め、ビデオの「チッパイ」という言葉を思い出し吐き気がして眠れなくなりました。また、女性に男性の性器を舐めさせようと頭を抑えつけたり、それでも拒絶する女性の顔を長く映すビデオを見たときには悲しさ、怒りでどうしようもなくなり意識が飛ぶような体験もしました。これらはAV作品が、尋常ではない強いメッセージを発しているからだと思います。
AVが発しているメッセージとはなんでしょうか。それはヒトを畜生と見て、正常な感覚や知性、理性をなきものとしている人間観だと思います。
例えば「××」というタイトルの作品、これは女子高生が皆なぞらえて、男性性器を口にくわえるのが大好きだというメッセージを放つ作品です。
その人間観は、「無修正 昏睡レイプ 強度睡眠薬で眠らせピクリとも動かない少女に鬼畜挿入」という犯罪まがいのモノとつながっています。この「鬼畜挿入」という言葉ほどAVの世界を端的に表す言葉はありません。
AVにはもう一つ、特徴があります。
AVが契約やルールに基づくものだという主張は虚構のもので、たとえば、「(××)」という作品があるように契約破りすら作品にして、販売されているという問題です。
あるサイトの宣伝文句です。「(××)これらの全てが詰まっている本物をご堪能ください」。
この醜悪な販売物を許してはならないと思います。AVの世界は法規を超え、道徳を投げ捨て、小学生さえも性交の対象にしている異常な世界だということを知ってもらえれば、この世界を野放しにすることがどんなに危険なことであるかを理解していただけるでしょうか。
③ 筆者が意見書作成に当たって、2000年初頭に大手AVメーカーで活動をしていた女
性から聞き取った撮影現場の実態を付け加える。撮影現場では決して被写体女性の心身は守られていないことの証言である。
・外国人男優起用の作品に出演した。撮影後、関係者に「実は男優のコンドームが本番中に破けてしまっていた」と打ち明けられた。撮影の次の日だったと思うが、婦人科に連れて行かれて問診のあとに処方されたピルを飲んだ。
制作会社の対応はこれで終わったが、万が一のことを考え、不安で仕方がなかった。リスク対策をしているつもりの撮影現場でも、こういったトラブルは現実に起こっている。
・凌辱もの(レイプの演出などがある)の現場で、初対面のAV男優のひとりにアゴのあたりを拳で何度も殴られ、心の傷になっている。演出とはいえ、暴行ではないか?との思いに至ったが、耐えてしまった。「レイプといっても演出にすぎない」という業界内において、女優に対して身体的・精神的な配慮のできない玄人風AV男優が存在しているのは女優にとって危険なことだと思った。メディアはひと握りの人気男優しか取り上げないので、こういった端役的な男優が女優を傷つけている事実など露とも知らないだろう。
この女性は上記作品に関して以下のようにも述べていた。
「上記は出演作の中ではひときわ有害な内容で、恥ずべきものだ。しかし動画は当たり前のように違法アップロードサイトなどに垂れ流れている。
一部のマニア向けに販売するのではない。検索すればすぐに視聴できるような状態で疑似的な性暴力を目にすることができる。未成年であっても、容易に。」と。
6 結論
以上縷々述べたように、伊藤和子弁護士がツイッターで言及している“鬼畜”は、ある特定の個人を指して言及しているものではなく、伊藤弁護士がこれまでの活動で認識してきたAV業界に係わる人々全体を指しているものと考えるのがごく自然なことである。
伊藤弁護士は、2013年に当時AV業界の実情に精通する弁護士がほとんどいない中でぱっぷすの相談者の弁護人になって以来、AV被害者救済において極めて重要な役割を果たしている弁護士である。
伊藤弁護士が中心になって取りまとめて2016年に公表されたヒューマンライツ・ナウの「ポルノ・アダルトビデオ産業が生み出す、女性・少女に対する人権侵害 調査報告書」はこの問題に関する国の政策に大きな影響を与えた。
また、伊藤弁護士による日ごろのツイッターやフェイスブックなどSNSによる広報活動は活発であり、講演会活動などでも常にAV被害問題を発信している。
この問題が広く社会的問題として認知されるに至ったのは伊藤弁護士によるさまざまな広報活動に負うところが大きい。
AVの社会問題化は伊藤弁護士の発信力を抜きには考えられないほどの影響力があったと考えている。
結論として以下の点を強調しておきたい。
1 出演強要被害は仮に強要罪が成立しないようなものであっても非常に深刻であること、
2 鬼畜の所業と言えるような行為は原告に限らず、AV制作・流通にかかわる過程に広範に広がっていること
この点で、東京地裁、東京高裁の判決は被害実態を知らずに不当な認定をしたものである。
最高裁は、現代における女性に対する深刻な人権侵害について認識を改め、被害の深刻さを十分に認識したうえで、高裁までの誤った判断を是正するべきである。
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